バンクーバーの夏祭りの会場として、多くの人に親しまれているPNE。そんな楽しいイメージの強い場所に、かつて日系カナダ人が収容されたという歴史があったことを知り、衝撃を受けました。
8月27日、ヘイスティングス・パークに新たな屋外記念展示が公開。そこには、実際にこの場所に収容された方々も参加していました。その中のお一人がご自身の経験を語るスピーチで、手を震わせながら、涙を流して言葉を絞り出す姿がありました。その姿を目の前にして、これは遠い昔の「歴史」ではなく、実際にここで起きた出来事であり、それを経験した人が今もこの場所にいるのだと強く実感しました。
今回実際にヘイスティングス・パークを訪れ当時の歴史に触れたことで、特に印象に残った4つのことを、編集後記として残します。
1.「いつもの場所」に残されていた知られざる歴史
ふだん夏祭りやイベントを楽しむ人が多いPNEが、かつて日系カナダ人の一時収容の場として使われていた。その事実を、実際にその場所に立って知ることには、資料を読むのとは違った重みがありました。
歴史は、教科書や資料の中だけにあるものではありません。私たちが何気なく歩いている場所にも、その土地が経験した過去が刻まれています。今回の取材を通して、普段何気なく訪れている身近な場所に刻まれた歴史を知ることの大切さを、改めて感じました。
2.「2026年の目」ではなく、「1941年の目」で見るということ
今回、8歳の時に収容されたヘンリー・ワカバヤシさんが話してくれた「2026年の目で1941年を判断するのではなく、1941年の目で当時を見る」という言葉が強く心に残りました。
ヘンリーさんは、当時はテレビやインターネットもなく、日本や日本人についての情報が今ほど身近ではなかったこと、また言葉や文化の違いからよく知らない「オリエンタル」の人々に対する不安や恐れがあった時代だったことを強調しました。
こうした背景を知ることは、差別や強制収容を正当化することではありません。ですが、なぜ偏見や差別が生まれ、なぜこのような出来事が起きたのかを理解するためには、私たちが生きる2026年の価値観だけで過去を判断するのではなく、当時の社会や人々が置かれていた状況にも目を向ける必要があります。
過去を理解することは、単に「正しい」「間違っている」と判断することだけではありません。その時代に何が起き、何がそのような状況を作ってしましたのか、社会全体を見ることも、歴史を学ぶ大切な一歩なのだと気づかされました。
3.「8,000人」という数字の先に一人ひとりの人生がある
今回の展示を見て、もう一つ強く感じたのが、金属製のパネルに刻まれた一人ひとりの「名前」でした。Japanese Canadian Legacies SocietyのCEO、スザンヌ・タバタ氏は、8,000人という数字だけではなく、「一人ひとりの名前を刻み、その人たちを称える」ことの意味を話してくれました。
8,000人という数字だけを見ると、私たちはそれを大きな集団として捉えてしまいがちです。しかしその一人ひとりには名前があり、家族があり、それぞれの人生がありました。彼らはもともとBC州沿岸部の各地で、活気あるコミュニティを築いていた人々でもあります。
当時8歳だったヘンリーさんが展示の前で紹介してくれたのも、まさにそこに刻まれた「家族の名前」でした。歴史を伝えるということは、出来事や数字を伝えるだけではなく、そこにいた「人」を伝えることでもあるのだと思います。
4.次の世代へ、この歴史をどう伝えていくのか
Japanese Canadians Hastings Park Interpretive Centre Societyのジュディ・ハナザワさんは「同じミスを繰り返さないために、次の世代へ伝えていく」という言葉を残しました。過去を知ることは、過去の過ちを認めるためだけではありません。同じことを繰り返さないためでもあります。PNEという、私たちにとって身近な場所に残されたこの歴史を知ること。そして、考え、語り、次の世代へ伝えていくこと。今回の取材を通して、その大切さを強く感じました。

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