遊園地プレイランドで有名なバンクーバーのPNE。このPNEがあるヘイスティングス・パークに、かつて日系カナダ人が強制的に収容されたことを知っていますか?そんな歴史をたどる展示が、この夏、新たに設置されました。
日系カナダ人の強制収容とヘイスティングス・パーク
1870年代からBC州に根を下ろし、地域社会やカナダに貢献してきた日系カナダ人。初期にカナダに来た人々は、漁師や船大工、ベリー農家、商店主、教師などになり、なかには戦争でカナダのために従軍した人もいたといいます。けれども太平洋戦争勃発で、日系カナダ人は敵性外国人として、強制移動させられることになりました。
「1942年までに、およそ2万2,000人の日系カナダ人がBC州沿岸部に生活の基盤を築いていました。ですが彼らは自国であるカナダ政府によって住み慣れた土地を追われ、収容され、財産を奪われ、各地へ分散させられたのです」とJapanese Canadian Legacies SocietyのCEO、スザンヌ・タバタ氏は話します。
バンクーバーで日系カナダ人の一時収容所となったのが、ヘイスティング・パークスです。1942年初頭、8,000人を超える日系カナダ人がここに集められました。彼らはその後、BC州内陸部の収容施設やカナダ各地の労働キャンプへ移送されました。

バンクーバーPNE。当時収容された8000人もの日系人の名前が刻印
歴史を振り返る新たな取り組み
歴史の風化を防ぎ、犠牲になった人々を悼む新たな取り組みとして、8月27日、ヘイスティングス・パークに常設の屋外記念展示が公開されました。
場所は、一時収容に利用された建物のひとつ、Livestock Buildingの外側。金属製のパネルに、ヘイスティングス・パークに収容された日系カナダ人8000人の名前が刻まれています。
今回の展示で、スザンヌ氏が特に強調したのが、「8,000人」という数字の先にいる一人ひとりの存在です。「ここヘイスティングス・パークでは、収容された一人ひとりの名前が刻まれ、名前によってその人たちが称えられています」。さらにこの8,000人は、1942年に強制的に生活の基盤を奪われた約2万2,000人の日系カナダ人という、大きな歴史の一部でもあります。その中には、カナダで三世代目を迎えていた人もおり、76%はこの国で生まれた人たちでした。「皆、BC州沿岸部の各地で活気あるコミュニティの一員だった人々です」とスザンヌ氏は話します。
「人々は、実質的に家畜小屋で、動物が飼育されるのと非常に似た環境で暮らすことを余儀なくされました」。
Japanese Canadian Legacies SocietyのCEO、スザンヌ・タバタ氏
収容経験を振り返るヘンリー若林
当時8歳で、実際にヘイスティングス・パークに収容されたヘンリー・ワカバヤシさんは、展示の前で、そこに刻まれた家族全員の名前を一つひとつ紹介してくれました。そして、自身の経験を振り返りながら、私たちが過去の歴史を見るときに必要な視点について、こう話してくれました。
「自分は当時子供だったので、高校生や大人が収容されたのとはまた経験が違いますが、私たちは2026年の目で、1941年に起きた歴史を判断してしまいます。でも、過去に起こったことを本当に理解するためには、1941年の目で当時を見る必要があります」。
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なお今回の展示は、Japanese Canadians Hastings Park Interpretive Centre Societyが、Japanese Canadian Legacies SocietyおよびPNEと協力して設置しました。費用には、BC州政府が2022年に発表した補償・名誉回復(redress)パッケージの資金が充てられています。これは、BC州政府の日系カナダ人に対する公式謝罪に伴うものです。
今後は、Livestock Building屋内の解説・展示センターの整備も計画されています。
この歴史をどう見るのか(編集部)
バンクーバーの夏祭りの会場として、多くの人に親しまれているPNE。そんな楽しいイメージの強い場所に、かつて日系カナダ人が収容されたという歴史があったことを知り、私自身、大きな衝撃を受けました。今回、実際に現地を訪れ、当時の歴史に触れたことで、特に印象に残ったことが3つあります。
1.「いつもの場所」に残されていた、知られざる歴史
ふだん夏祭りやイベントを楽しむ人が多いこのPNEが、かつては日系カナダ人の一時収容の場であった。その事実を、実際にその場所に立って知ることには資料を読むのとは違う重みがありました。
歴史は教科書の中だけにあるものではありません。私たちが何気なく歩いている場所にも、その土地が経験した過去が残されています。今回の取材を通して、身近な場所に刻まれた歴史を知ることの大切さを改めて感じました。
2.「2026年の目」ではなく、「1941年の目」で見るということ
今回、ヘンリー・ワカバヤシさんが話してくれた「2026年の目で1941年を判断するのではなく、1941年の目で当時を見る」という言葉が強く心に残りました。
ヘンリーさんは、当時はテレビやインターネットもなく、日本や日本人についての情報が今ほど身近ではなかったこと、また言葉や文化の違いから、よく知らない「オリエンタル」の人々に対する不安や恐れがあった時代だったことについても話してくれました。もちろんこうした背景を知ることは、差別や強制収容を正当化することではありません。
しかし、なぜ偏見や差別が生まれ、なぜこのような出来事が起きたのかを理解するためには、私たちが生きる2026年の価値観だけで過去を判断するのではなく、当時の社会や人々が置かれていた状況にも目を向ける必要があるということに気づかれされました。
3.「8,000人」という数字の先に、一人ひとりの人生がある
今回の展示を見て、もう一つ強く感じたのが、金属製のパネルに刻まれた一人ひとりの「名前」でした。スザンヌ氏は、今回の展示について、8,000人という数字だけではなく、「一人ひとりの名前を刻み、その人たちを称える」ことの意味を話してくれました。
8,000人という数字だけを見れば、大きな集団として捉えてしまいがちです。しかし、その一人ひとりには名前があり、家族があり、それぞれの人生がありました。スザンヌ氏が話してくれたように、彼らはもともとBC州沿岸部の各地で、活気あるコミュニティを築いていた人々でもあります。そして当時8歳だったヘンリーさんが展示の前で紹介してくれたのも、まさにその「家族の名前」でした。歴史を伝えるということは、出来事や数字を伝えるだけではなく、そこにいた「人」を伝えることでもあるのだと思います。
今回、Japanese Canadians Hastings Park Interpretive Centre Societyのジュディ・ハナザワさんから聞いた「同じミスを繰り返さないために、次の世代へ伝えていく」という言葉。過去を知ることは、過去の過ちを認めることだけでなく、同じことを繰り返さないためでもある。PNEという身近な場所に残されたこの歴史を知り、考え、そして次の世代へ伝えていくこと。その大切さを、今回の取材を通して強く感じました。
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