様々な民族が暮らすバンクーバー。異なるバックグラウンドを持つ人々が、公平で包括的な社会で生活するために、街はどのように取り組んでいるのか。今回は、ブリティッシュコロンビア州(以下B C州)で活動する臨床心理カウンセラー加藤夕貴さんにお話を伺いました。
102:「バンクーバーは差別が少ない」ってよく言われますよね。でもあちらこちらで差別された方の経験を聞いたり読んだりします。
加藤さん:差別はどこにでもあります。もちろん、バンクーバーにだって、日本にだって。バンクーバーは差別が少ないから良い街だと結論づけてしまうのはちょっと短絡的すぎますね。私たちは人間なのでそんなに完璧ではないですし、そもそも差別というのは、「差」や「違い」から起こります。例えばジェンダー、家族構成、教育・経済の違い、身体的・精神的障害の有無など、社会の中での個人差は多岐に存在します。まずは人に違いがある事が前提で、このバンクーバーという社会においては差別がどのような形で表れてくるのか、そこがポイントです。
102:差別にもいろんな種類があるということですか?
加藤さん:はい。差別の種類で言うと、日本でも最近話題になっていますが、アンコンシャス・バイアスと呼ばれる無意識のレベルから、ステレオタイプ、偏見、そして目に見える差別、すなわち公共の面前で差別的な発言をするといった言葉を含めた暴力的なものまでさまざまなものがあります。
102:そもそも差別はなぜ起こるのでしょう?
加藤さん:人間って、自分達が知らないということに対して恐怖を持ちますよね。その恐怖に対しての反応が差別という形で表れるわけです。例えば、初めて聞く名称の、なんだかわからない病気が、アジア圏の小さな地域から発症したら、その病気に対する『怖い』という恐れが、アジア圏という地域や言葉や人などに直結することがあります。そうなると恐怖の反応として、アジア圏の人を避けるようなったり、自分の周りにいて欲しくないと思い、結果的に街でアジア圏の人を見かけると『自国へ帰れ』という発言につながったりするわけです。この恐怖と並ぶ要因が、誤解です。恐れから正しい情報を見る冷静さを失えば、誤解はより広がります。
102:コロナ禍でニュースをにぎわせた差別はその典型ですね。
加藤さん:そうです。ただバンクーバーの街としての良いところは、差別の存在に気づき、それに向き合っている点ですね。
102:どういうことですか?
加藤さん:街として、差別があるという事実に気づき、それを認めて、どうやって解決するべきか、オープンに話し合っています。要は、タブーじゃない、隠していないってことです。また差別についての知識がある、学んでいる点も大きいです。実際に差別的な事が起こった時にそれが差別であることに「気づく」事ができます。
人間は恐れから差別をする特質があります。それが結果的に、差別という形で、相手を傷つけることがあります。そういった知識を義務教育で取り組んで、子供達の世代からきちんと知識として学び、考える機会を与えているんですよね。コンフリクトを失くすのが目的ではなくて、人間だからそう感じるのは当然であることを知った上で、自分がそう感じた際に、どう反応するべきかを考えるのです。恐れに翻弄されて相手に罵声を浴びせて終わるのか、自分の勝手な目線で相手のことを決めつけないという選択を選ぶのか。心のあり方について、先生やクラスメイトと共に話し合う機会が与えられています。
これは、教育カリキュラムの一環として、保育園からそれぞれのレベルにあった方法でしっかりとダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン/多様性・公平性・包括性(以下D E&I)という括りで導入されています。だから教える側の教員も免許を取得する際に、D E&Iの視点を教育課程で学んでいます。
102:政府の取り決めなんですね。
加藤さん:B C州では、元々多様性を包括するような教育はありました。それは移民国家であること、2ヶ国語を公用語としてきた国であること、そして先住民族との和解のプロセスがあったからだと思います。また2008年、2015年と段階的に義務教育のカリキュラムがアップデートされ、役場や病院、コミュニティーセンターといった公共機関でも、住民に気づきの機会を与えるために、ポスターやワークショップなどを通して、告知していますよね。大きな企業や機関ではD E&Iのトレーニングを提供しているところもあります。
バンクーバーは街として、まだまだ改善点はあるという姿勢です。政府が住民の声を聞き、過去の同じ過ちを繰り返さないように歴史を検証し、解決策を練りだし、住みやすい街になるよう努力しています。その点では、バンクーバーはただ単に差別が少なくて良い街なのではなく、街として差別に発展させないために、多様性とは何か、そして多様性をどう包括してゆくのか、平等と公平性の違いは何かということを学ぶ機会があるのだと思います。
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「違い」から生じる葛藤・反応・対立があることを公に認める。そこから解決策をしっかりと考える。住民の多様性・包括性・公平性の意識を高める。街としてのこの姿勢こそが、様々な文化を持つ人々が、共に暮らすための基盤となり、公平で包括的な社会を築く上で不可欠と言えるのだろう。