たった一度の人生、今を出来るだけエンジョイしよう」と心に決めているアラカンコラムニストのYUKOです。バンクーバー102の編集部の皆さんから「人生の先輩としてぜひコラムを書いてほしい」とお声掛けいただき、担当することになったこのコラム!7回目となる今回は、「私の恩人」です。
私が30数年前にカナダに移り住んだ時のことです。
当時、私達夫婦には4歳と一歳の小さな子供達がいて夫は大学で教職課程を取るためにバンクーバーへ来たので仕事もなく日本で働いていた時に貯めたお金だけが生活の糧だったんです。金銭的な余裕が全くなかったのでアパートが見つかるまでの夏の間、ホテルには泊まれずブリティッシュコロンビア大学の寮に滞在していました。
その頃はインターネットもないので新聞やら大学の掲示板に出ている広告見てアパート探し… 車なんて買えないので子連れでバスを乗り継ぎ歩け歩けで1、2つのアパートを見に行くのが精一杯の毎日だったの。
数週間後、やっと私達でも暮らしていけそうな手頃で大学へも自転車で通学できるアパートを見つけて引っ越しの日を迎えたのね。その日はアパートのマネジャーと入り口で待ち合わせて鍵を受け取る予定でした。でもなんせ小さな子供達が2人いたのでバタバタしているうちに約束の時間にかなり遅れてしまったんです。アパートに着いた時には誰もいなくてどうしたんだろうと思っていたらなんと忙しいマネジャーは帰ってしまっていて、もうその日はアパートに来れないとのこと。
スーツケース2つ抱えて寮を出てしまった私達は途方に暮れました。
アパートの入り口で、さてこれからどうしようと2人で相談していた時、中年の女性が声をかけてくれました。
私達の事情を話すとなんと「それは大変ね。私の部屋に一晩泊まって明日マネジャーから鍵をもらったらいいよ。」って言ってくれたんです。それがフィリピン人のリベおばちゃんとの出会いでした。その夜は彼女と旦那さんが住む部屋のリビングルームのソファーベッドで寝かせてもらい、翌朝リベさんは私達に目玉焼きとベーコン、ご飯の朝ごはんまで作ってくれたの。
彼女とはその後もとてもとても優しくしてもらいました。
引っ越してまもなく、夫がトロントに帰りママの所に船便で送っていた荷物をレンタルトラックで持って来るという大掛かりな用事でバンクーバーからいなくなってしまった時にも、リベおばちゃんが助けてくれたの。お鍋とフライパン、そして4枚のお皿とカトラリー貸してくれて、これで少しの間凌げるでしょうって…泣きそうに嬉しかった。
その後も日曜日のディナーに呼んでくれたり、フィリピン料理を教えてくれたりまるで家族のように接してくれたんです。親しくなったある日、私が「なぜあの日、見ず知らずの私達をお部屋に泊めてくれたの?」と聞いたらリベおばちゃんは笑いながら「赤ちゃんもいるし、怖そうな家族には見えなかったから。」って答えました。私も笑っちゃったけど、それにしても本当に親切で思いやりのある人だったと思います。日曜日に一緒に過ごすおばちゃんのお友達のフィリピンの人達もみんなとても働き者で楽しくて優しかった。だから今でも私にとってフィリピンの人達はみんな親しみがあり心を開いて好きになってしまうのかも。
私達がそのアパートから引っ越す前にリベおばちゃんはリッチモンドにアパートを買って旦那さまと一緒に引っ越して行きました。
その頃はケータイもインターネットもなく私も子育てに忙しかったのでおばちゃんと繋いでいくことができませんでした。私のカナダでの初めての友人だったのに…
今でもそれを後悔してる私です。当時50歳代に見えたおばちゃんはきっと80歳過ぎになっているかな?
もう一度会えるなら、あの時のお礼を言いたいと思っているのです。
今でもあのバルコニーもない古いアパートがあると思う。昔は変なピンク色だったけどその後はグレーにペンキ塗り直してあった。空港に行く時には車でアパートの前を通ってみたりしてるよ、懐かしくて…
1407 West 70th street, Vancouver
これが住所。リベおばちゃんの消息を知ってる人いないかなあ。
私の人生の「恩人」というと真っ先にリベおばちゃんの顔が浮かびます。
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